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30年を駆け抜けてみる

更新日:2019年4月30日



2019年の6月は私が初めて「他人の物ではない」パソコンを使ってから30年になります。


あやふやな記憶すら抜け落ちる前に一気に書き連ねてみます。


1989年~1993年

親を騙してX68000 Expertを買ってもらう。といっても自分専用ではなく、母親の店のDMに貼る住所録兼ラベル打ち出しにも使うので、そういう用事がある時以外で限定でした。

ゲームを貸し借りする相手がなんと4人(うち本人所有は2名で残る2名は友人の兄、親戚)もいたのは割と恵まれていたかもしれません。

割と景気も良かったのか、サイバースティック&アフターバーナーまで買って貰えました。

友人の家で徹夜ゲーム大会する時に持っていったり、98ユーザーと本体交換とかもしたりして、それなりに優越感を味わう日々でしたね。

1993年まで使いましたが、ゲームとMMLやBasicの打ち込みやるくらいで大した事はしていませんでした。

OPMDという音源ドライバでFM音源とADPCMの同期演奏を自分で打ち込んで試せたので、CDからFDの限界まで色々録音しまくってなんかテキトーなメロディつけて遊んでいた記憶があります。

1993年~1995年

93年から96年初頭までは諸般の事情で使えませんでした。

94年に少し復帰し、95年は使おうと思えば使える時期ではありましたが完全に壊れてしまっていました。

そしてこのころはパソコンからちょっと気が離れていたこととサターンに夢中になっていたこともあり、直すとか買い替えとかは考えておりませんでした。

1995年12月号(発売は11月)をもって、Oh!Xは休刊になりましたが、この頃は毎号買うこともなく、本屋で見て付録FDがついてた号だけ買ってたので休刊になっていたことすら知りませんでした。


1996年

世間はWindows95一色で、その話題自体は知っていましたが、自分には関係ないねと半ば無視していました。

大学進学で一人暮らしするのにやっぱパソコンは欲しいので貰った10万で中古のX68000XVI(箱は無いけどモニタや付属ソフト付きがフルセットで5万)とHDD(1GBで2.5万)と空白期に買えてなかったゲームいくつかを名古屋で買いそろえました。

実はこの時点で既に「終わった」シリーズではあったのですが、行った先々でまだ普通にソフト(ハードは新品に関心なかったので見ず)もコーナー設けて売っていたので全く気付いていませんでした。

その後、首都圏(相模原)に出てきたことで秋葉原が近くなったこともあり、暇を見つけては行ってました。

ツクモでXsimmVI+8MBSIMM、システムサコムのMIDIボードを買ったり、中古楽器店でCM-32Lを3000円で買ったりと、無駄とも言える投資をX68000にしまくりました。

そう、96年は既にOh!Xも休刊し、満開製作所が細々とオリジナル改造X68000を、ツクモがオリジナル周辺機器を売っていましたが、各電機ショップは既に在庫処分モードでフルセット10万切ってる広告も頻繁に出ており完全に終局しておりました。

ですがそんな事情は知ってても無視してZ-Music2.0で黙々とMMLを打ち込んだり、EX-SystemやZ'sStaffPro68K(これもこのころは中古で爆安でした)で絵を描いてました。

ツクモは終わった機械も見捨てず1997年までX68kコーナーを維持してくれていたことには本当感謝してます(まぁそんななので一度つぶれかかったのかもしれませんが・・・)。

パソ通始めたのもこの頃です。

なおこのころ買ったCM-32Lは現在も所持しています。

中古ゲームショップの大きな店だとX68000のゲームもちょいちょい置いて有ったりして、昔友人に借りたことのある「出たな!ツインビー」を買い、CM-32Lと内蔵音源の同期演奏を楽しんでいました。

ちなみに今じゃプレミアのついてる悪魔城ドラキュラ(X68K版)は当時ですら中古なのに新品並の値段がついてました。それでも無理して買っておけばと今になって後悔しています。


1997年

姉がクレジットがゴールドになったので進学祝い(今更かい)でパソコン買ってあげるというから遠慮しながらPentium60MHz搭載の中古のCompaqのデスクトップを買ってもらいました。当時最新のを買ってくれそうな感じでしたが遠慮しないといけない訳もあり・・・。

この年が初めてIntel系CPUのマシンを手にした頃です。

それから半年後、家電量販店の開店が相次ぎ、パソ通仲間と何度か徹夜並びで1000円パソコン(富士通のPentium133MHzのマシン)をゲットしようと企みましたが全部失敗。

一念発起して当時それなりに人気のあったGateway2000のPentiumII(266MHz、CD-Rドライブ付き)を買いました。

当時の最高スペックで30万。一気にジャンプアップです。

が、現金の持ち合わせがなく12回ローン。

この買い物は学生の自分にはかなり重く、翌年明けにX68000XVIを手放す要因の1つになってしまいました。

また、当時QV10というカシオのデジカメが流行したのですが、液晶無しのは一気に放出価格となったことから自分もノジマの閉店セールにて3000円で10万画素のデジカメを購入しました。

同閉店セールでは他にもCD-Rメディアも数枚買いましたが当時CD-Rのメディアは1枚700円~900円でセールでも大して安くなかった記憶があり、おいそれと遊びで焼くとか失敗を顧みないとかそうそう出来る値段ではありませんでしたので、焼く時には一切の作業をせず、スクリーンセーバーや省電力モードへの移行もしないように細心の注意を払いました。

この頃からスクリーンセーバーや省電力を切るクセがついたと思います。

デジカメ買ったはいいものの撮るものもなくあまり使いませんでしたが、下にある画像を残せたのは大きいです。

あと、近所の家電量販店のゴミ捨て場が宝の山でして、店員(店長?)から好きに持って行っていいと言われ、ほんと見つけては拾って持って帰ることを繰り返していました。

以下拾ったもののうち覚えている/記録のあったもの

・Apple MacintoshLC(68030(25MHz)+68882)

中あけたらコプロまでついてて大ラッキー。

キーボードやマウスはなく、当時できたばかりの町田のメディアバレーで新品を購入。

が、内蔵HDDにあったソフト(Photoshop1.0)をちょろっと触って入力デバイス買った値段で放出。

・SHARP X1turboZII

・SHARP X1(赤いの)

・NEC PC-8801FH

この3台は動かせるソフトを何1つ持っていなかったので通電したのを見てインターネットのニュースグループで売りました。

・NEC PC9801DS

・EPSON PC-386(型名失念)

拾ってはみたものの先に拾っていたPC-9801BX2よりスペックが劣るので草の根BBS仲間にあげました。ただしキーボードは現在も使用。

・NEC PC9801BX2(U7)

2004年に引っ越すまで所持だけは続けました。FM音源は搭載されてましたが、98の音源にあまり興味が無く音源種別までは見ていませんが、多分26Kだったと思います。

スピーカースピーカー繋がずに音が鳴ってた記憶がありますし。

120MBの内蔵HDDに色々入っており、初めて98エミュを触ったとき、このマシンから吸い上げたデータ(HDDの中身やBIOS)を使ったものです。MS-DOSだけはFD使用ゲームをやりたいがために買いました。


この年、MMLの打ち込みはやめ、Windows上で動くTrackerにハマってました。

CD-Rから救出できた当時の画像がありましたので何点か掲載してみます。






この年、X68030が生産を終了(まだ作ってたことにむしろ驚きでしたが)、まだ大勢力を誇っていたPC-98もNEC自らがPC/AT互換機もどきを主力として発表するなど、国産アーキテクチャが次から次へと終わりを宣言していきました。

国内で最盛期は9割ものシェアを誇り無敵かと思われたNECも、一旦終わりを見せ始めると実際に終わってしまうまではそう時間はかかりませんでした。


1998年

実は97年、学籍こそありましたが4月にチョロっと出ただけで全く通っていませんでした。

バイトも秋ぐらいにやめ、半年ほどは完全なニート生活を親元から離れて送っておりました。

ですが仕送りは3月分までと後ろを決められてしまったので泣く泣く就職活動、4月から就労しました。

就職先をネットで探すという当時としては最先端だけどあまりにテキトーな就職活動で、1社目面接行って即決するというスピード就職(笑)

3月分まで=2月末までなので4月はマジ貧乏で、ローンが払えなくなることからX68000のフルセットを5万で売りました。

正直このことだけは今でもなんとかならなかったのかなぁと思うこともしばしばあります。

4月は自社と自宅を往復するだけでしたが(といっても7:00に家を出てずっと小田急に揺られ続けるという地獄でしたが)、5月から現場投入され、9月から11月は家に帰った回数が両手で数えられるレベルの多忙さでした。

そこそこ帰れるようになった晩秋、初めてPC自作というのにチャレンジしました。

といっても他人の物。他人が使うPCを他人の金で組んだのです。しかも2台で2台ともCeleron450A(笑)。

自作つってもプラモデルどころかビデオデッキにテレビを繋げられればできる程度のものですからはっきり言って大したことはないです。ケーブルの取り回しがちょっとウザったいくらいで。

職場でインターネットに接続したのもこの頃からでしたが、当時はwebサイトを自前のマシンルームに設置したオンプレミスのサーバ上で構築するのが当たり前の頃で、使った回線はその公開webサーバ用の専用線でした。今にして思えばやってることメチャクチャです。

そしてこの年の末、相模原から横浜に引っ越しました。

相模原のアパートは家賃安い上に広くて気に入ってましたが取り壊すのでは仕方ありません。業者が引っ越し費用全額持ってくれましたし、次の住居は狭いけどエアコンもありますし。

そして12回ローンの支払いも終わったこと、人のために組んだマシンの方が何もかも速いことが気にくわなくなったこと、阪神三歳牝馬Sの馬連1000円分(150倍)が的中したことなど色々重なったことから、自分用に1台、PentiumII333MHzをベースクロック100MHzにしたもの(=500MHz)で組みました。グラボも他人用に組んだのはRIVA TNTでしたが自分のはMatrox MilleniumG400MAXです。

そういえばCPUにペルチエ素子付けて強冷却するなんてのも少し流行り、友人がそれでCPU結露させて昇天させてましたね。

500MHzの大台に乗ってベンチマークの値も上々でした。

この年の夏~冬は残業に次ぐ残業で、月収が常に基本給の倍ありしかもお金使う暇もなかったのでPC環境は当時としてはかなり贅沢できました。

UXGAな21インチCRTにBNCケーブルで接続なんてもんをやり始めたのもこの頃です。


1999年

500MHzの大台に乗ったのも束の間、PentiumIIIが出ました。

といってもチップセットは例のRDRAMの件もあり、440BXが主流で、C300Aで主流だったSlot1のM/BにSocket370のCPUを搭載させる下駄カセットなんてのもかなり売られてました。

私もそれでPentiumIIIの750MHzを載せたのですが、まぁとにかく不安定。

下駄は何度履き替えたか覚えないくらい買い換えました。

翌年にi815が出るまでひたすら我慢してた気がします。

この年あたりから、音楽は聴くだけになっていました。

2000年

i815発売で440BXをやめ、下駄なし環境に戻りました。

久々に安定を取り戻した時期で、クロックも1GHzの大台に乗りました。

が、750MHzが1.13GHzになりはしましたがなんかあまり感動もなかったと記憶しています。


2001年

AthlonXPに鞍替え。グラボは初めてのATI(現AMD)です。

この年は人生で最もつらい時期だったかもしれません。とにかく連日徹夜とか朝帰りとかで毎日ヘロヘロでした。多分今だとNGなレベルの働き方してました。社会人1年目も割とアウトな働き方だったのですが、そちらは寝る場所もちゃんとしたホテルの部屋があったのでまったく苦にならなかった、むしろ通勤ラッシュと無縁でラクチンだったのですが、今度のは片道1時間半以上かかる通勤経路な上でソレでしたので苦痛の度合いが全然違います。

この年から3年ほど電源の不調が相次ぎ、デルタとENERMAXの電源が嫌いになりました。

友人の一人がPC/AT互換機に走って使わなくなったというのでPC-9821Cxを借りてきました。これが別記事で色々やってるマシンです。

2002年

この年、初めてノートPCを買いました。hpのomnibook500というPentiumIIIの500MHzが搭載されたB5ノートで、Thinkpadのようなポインティングデバイス付のノートが何故か新品が爆安(10万そこそこ)で放出されていたのです。

この頃のクライアントが今いる会社で、それ以外にも色々運命的な出会いがあったのもこの年でした。


2003年~2004年

グラボをRadeonに買い替えた、omnibookを落下で壊してしまってVictor(ASUSのOEM品)のInterlinkXPを買ったくらいの事しか覚えていません。

モニタが液晶になったのもこの頃で、当時としてはレアなUXGAの20インチ(SHARP製)。

多分Amazonで最初の買い物ではなかったかと。

このこの年、諸般の事情で同じ市内の別の区の2LDKに引っ越しました。


2005年

システム一新と称して「ほぼなんでもデュアル」ということをやりました。

CPUは2個(Xeon)、メモリは2枚、HDDも2個、グラボも2枚でSLI。

マザーもXeon用では当時唯一SLIに対応したものでメーカー(IWill)も気合を入れて日本でプロモーション活動していましたが・・・。

アホな予算の組み方してとにかくお金がかかりました。

CPU、メモリ、グラボ、M/B、電源+ケース、ストレージ(光学ドライブ含む)という主構成部分1か所につき50k(流石にHDDは2本で25kでしたが)というね・・・。

またXeon(nocona2.8GHz)付属のファンがこれはもう凄まじい音で、誇張無しで「ジェット旅客機の主翼そばの席に座っている」かのような高音の風切り音が鳴り続けて、ゲームに集中していない時はマジで気が狂いそうでした。シャットダウンした後毎度心が安らぎました。

ケースもそれにふさわしい、当時基準のフルタワーで高さも70cm(キャスター除く)近くある凄まじくデカい奴でした。

人にあげる1年前(2007年)の画像が出てきました。

2000年前後の頃よく秋葉原に行ってた人なら見おぼえあるケースではないでしょうか。

よく勘違いされるのですが、7セグ部分はクロック数を示している訳ではなく、リセットボタンを長押しして自分で数値を入力するというショボい奴で、100の位が1しかありません。

1年近い地方出張の時にこれ持っていったんですよね・・・。

レオパレスの建付けデスクと棚の間にびっちりはまりました。

ティッシュはさんであるのはビビリ音が結構ひどかったからです。


2006年

グラボのSLIをやめました。ちょいちょいSLIのリンクが切れてグラボ2枚刺さってるだけみたいな挙動になっていたので。

それとWindowsXPの64Editionを試しに買って入れました。すぐ元に戻したけど。

面白そうではありましたがなにせOSチェックするアプリがほぼ全滅という。

32bit版より確かちょっと安かった。

あとInterlinkXPのファンが壊れ、熱でCPUがイってしまい捨てました。


2007年~2008年

出張から戻ってからというものPCの調子が悪かったのですが、ThinkpadX60を買ったこともあり特に困りはしませんでした。

一応つなぎであまりに調子の悪かったグラフィックボードをローエンドモデルで埋め合わせして表示だけは最低限できるようにしていました。


大して困ってはいなかったというのに、ふと目にしたwebサイトでクアッドコアのCPU(Core2Quad Q6600)が安いと知り、爆音Xeonと別れを告げました。電源だけは流用しました。

この電源、結局この後10年使ったんですよね。

現ユニットコム関連のショップだったかが作ったRIOWORKSの日本代理店を通じて販売していたZippyの650WのATX。

当時のPC用では珍しくEPS12Vが最初からついてて、Core2時代も難なく乗り切ってくれました。

ド安定志向な方にはお勧めしたいメーカーですが、RIOWORKSがどっか消えてからというもの入手性が非常に悪く、手放しでお勧めできなくなってしまいました。


そしてHDDは内蔵ポートでRAID5を組みましたが、これが足かせになり、そろそろ新しいのにしたいと思っても踏ん切りがつかず、だらだらと9年も使う羽目になりました。



2009年

Q6600からOC耐性が高く消費電力量も抑えられたQ9650に買え、Windows7にしました。

OC自体はやる気はなく、定格で動かしてるだけなら長期に安定して動いてくれることを期待しただけです(その目論見はイヤというほど当たってしまった)。

実はMSのアンケートに答えて抽選で当たったWindows Vista Ultimateなるものも持っていたのですが、今更Vistaもアレだしということでそっと押し入れにしまいました。

また、SSDを使い始めたのもこの頃だったと記憶しています。

IntelのX25-Mの80GB。今これを書いてるPCの片隅でテンポラリ用としてひっそり生きております。

この年の春に転職しました。退職金が100万ほどあったのですが、PCには使いませんでした。


2010年

初のスマホ。iPhone4を買いました。ThinkPadX60のHDDをSSDにしました。

SSDを120MBにしたようなしてないような。

エコポイント狙いでPanasonicのプラズマTVを買いました。が、42Vが思っていたほどデカい画面じゃなくがっかりしたので翌年だかに新機種出たときに姉夫婦にあげました。


2011年

グラボをGeForceGT560tiにしました。

たまたま秋葉原に立ち寄ったとき、かなり安かったので。

と言いたいところですが、買った後に調べて安かったことを実感。

どの相場サイトと比べても2000円安かったのです。衝動買いの勝利。

2012年~2015年

SSDとHDDとメインメモリを買い増し、モニタを4:3から16:9にしました。

意外と長持ちしたシャープのモニタでしたがうつりが悪くなってきたのとHDCP非対応でDRM入り動画が見られず不便に感じたというのもあり、当時流行ってた3D対応の奴にしました(この機能のあるTVを眼鏡(1万した)も付けて買いましたが結局使わずじまい)。

フルHDはね・・・縦が200pixほど狭くて結構ストレスでした。

あとiPad(第3世代)のSIMフリー版を買いましたが、旅行中以外殆ど使うことがありませんでした。というのにその後iPadMini4まで買うというね。

2016年

諸事情で市内から市内に引っ越しました。2LDKが1LDKと狭くなりましたが家賃も1万ほど下がった上、角部屋で日当たりと通気性が抜群に良くなり割と物が多めの一人暮らしにはちょうど良い住環境を得ましたが、2LDKをしばらく一人で使っていたせいもあり異様に物が多く、思い切ってかなりのものを捨てました。じゃないと部屋に入りきらないし・・・。

捨てた物の中には実は結構な貴重品や、貴重ではないけど入手がそれなりに困難なアイテムもありましたが見なかったことにしました。2019年になって少し困ることになったのですが。K6-3のセット(CPU、M/B、メモリ)もちょっとだけ惜しかったかも。

この時PC-9821Cxも捨てるつもりでしたが、CRTだけ捨てて本体やキーボードは引っ越し先に持っていきました。

多分捨てたものを全部ヤフオクに出せば引っ越し業者に支払った代金分くらいにはなったのかもしれませんが、選別して箱詰めして・・・という作業自体にかけられる時間もなく。


さて、フルHDがなんとなく狭く感じ続けていたのですが、WQHD以上にするにはグラボを買い換えないといけない、買い換えたら電源も対応させないといけないけどもうコネクタに余りがないし分岐はもうやめたほうがいいくらいしている、内蔵HDDの本数が多すぎてしかもRAID5なんて構成なので引っ越しづらい、本体のパフォーマンスには全く不満もなくしかも安定していたので長いことだらだらとC2Qを使い続けてきましたが、OSを入れなおした方が良いレベルの不具合をねじ込んでしまったこと(利便性への影響は0でしたが)、4K解像度への憧れもあり、本体もろとも交換することにしました。


まずは4ベイNASBOX(シノロジー)と1本4TBのWD RED4本買ってきてNASBOXのオリジナルRAIDで構成(RAID6ぽい構成)し、iSCSI化してマウントして持ってる物全部そこに放り込みました。

コピー中に新マシンを組み立て&OSインストール(Windows7)。

コピーが終わったら旧PCを落として新マシンからiSCSIで接続しなおして移行完了。

もはやまともに新しめの3Dゲームを動かすつもりもなく、なんとなくVRで遊んでみたいという理由だけでGeForceGTX1080を搭載しました。

部屋までどうにかしないといけないと後で知ってVRはやめましたが。

CPUもOC耐性のあるCore i7 6700Kを「定格で」動かすこと前提に買いました。

その他ケースも電源も一新しました。

今回のケースはAmazonで一番売れたとあってなかなかツボも価格も抑えてあって好印象ですが、今まで使っていたAntecのケースと比べると全体的に部品がちと安っぽいのだけは気になりました。

実際かなり安いのですけどね。

電源は線がユニットから抜けないオウルテックの古臭いタイプの80PlusGOLDの奴にしました。抜ける奴よりかなり安いので。

Core2QuadQ9650なPCは電源と光学ドライブを一新し、液晶モニタの新品を購入(当初は中古あげるつもりでしたが、PC-98で映る可能性が高いモニタだということを思い出したので)した上で甥にあげました。

また10年近く使うかもしれません。


2018年

2017年のアップデートが実は年末だったこともあり、ハードウェア的な更新はSSDをSATAからNVMeに変えたことくらい。

年末にWindows10を購入、Windows7とデュアルブートな構成にしました。

この時は年明け早々にPC-9821Cxを動くようにすることは考えていなかったので、Windows10の罠にも気づいていませんでした。

色んなものを作るための環境についてはコレといった移行作業もなく、いくつかポインタ移すだけで終了。

結局は別の用件でDirectX9cをインストールしたのですが、カス子だけならインストール無しで動いてました。

あと、久々にPCで絵を描いてみたいと思ったので中華液タブを買いました。

いくつか描いてPixivにあげましたが、元の技術やフルで描くの自体久々、そして目がめちゃくちゃ悪くなってて超ドアップじゃないと細かいところが見えず、気づいたら全体バランスがおかしくなってしまいました。

2019年

メインのPCでやっていることの一部をリビングに鎮座しているPC-9821Cxにやらせてみようと画策し、なんとか使える状態にまでし、更に過去にPC-98を使っていた時よりもずいぶんと派手な構成にしました。

オンボードのCanBe音源にくわえ、86互換のWaveStar、更にSuper-MPUも追加してCM-32LとSC-88proの2台も繋げ、PC-98で鳴らせるあらゆる演奏データ(≠音声データ)に対応させてみました。

ただ、CanBe音源を無効にしないと肝心のPCMがWaveStarを向いてくれないため、もうちょっと都合良く(FMとSSGはオンボード、PCMはWaveStarといった具合に。FMは2枚で12chとして使えれば最高)割り振れないものかと試行錯誤中です。

最後に

X68000に始まり、Celeron300A狂騒の自作PCブームにも乗り、デュアルCPUにSLIと色々やることはやって来たような気がします。

書いていませんが宅内公開サーバ用としてAtomの箱とかPenIIIXeon*2のマシンとかも一時はいました。

90年台後半になるまでX68000というガラパゴスに閉じこもっていましたが、PenIIマシンを手に入れてからしばらくは時代の先端近くを追従して、毎年どころか下手したら半年に1度くらいのペースで性能が露骨に変わる更新をしていました。

が、Xeon使い始めてからパーツを気軽に入手できる環境じゃなくなったことも手伝ってあまり更新しなくなり、C2Q時代になると性能面で不満すら出ない、あっても他の面倒ごとの前に封殺される程度になってしまいました。

この点は加齢による新しいことへの興味の減退なのかもしれませんが、もう1つは単純に性能自体が頭打ちになってきたこともあるでしょう。あとOSの安定感が上がったこと。

今やれてることとそれを多少発展させたレベルのことが快適になれば気が済むので、それほど大きなスペックアップ自体が不要になったというのもあります。

そして今また懐古に走ろうとしています。98自体をまともに使ったことが無かったので割と新鮮に向き合えています。目標はX68000の買い戻しですが、こちらは本当に早くしないと本当に手が届かなくなりそうです。


最後にメインで使ったパソコンのスペック一覧を掲載します。

PentiumIIの500MHzという謎のCPUは333MHzのOCで、年表中のクロックは「実際に駆動させていた周波数」となっております。

CPUとメモリ搭載量は大体あってるはずですが、グラフィックとストレージ関連、特に00年代は壊れる・不安定といったことがあってかなり色々買い換えていたのでかなりテキトーです。

こうして見るとWindows98が出たあたりからXPが出た直後くらいまでの間は異様でしたね。2年に1度は総入れ替えレベルの更新しないとゲームが満足に遊べませんでした。それもそのはず、DirectXもDirectX9が出るまでほぼ年1で「数字の部分が変わる」くらいの大幅アップデートがありましたし、ムーアの法則がバッキバキに有効で、1年経つとベンチマーク見るまでもなく性能が段違いに上がっているのが分かるほど更新も速かったですし。

そのDirectXのアップデートを無視するとゲームそのものが動かないとか動いてもあからさまに描画品質が落ちるとか同じハードでも遅いといったことがあり、それをどうにかすると今度は別のボトルネックが生じて結局ほぼ全部入れ替えみたいなことが当然のように発生していました。Androidスマホも真っ青な動きの激しさです。

世紀末から00年代前半、PC自作市場が活発だったのはそういった割とメチャクチャな時代に、いちいち全部買ってたらお金が続かないので自作して価格を抑えたいという需要から来ていたかもしれませんね。色々不安定だったということもあり、同じCPUを何度か買ったという人も周囲にいました。買ってから2週間は価格相場を見ないという鉄則もありました。


この時代はほんと自作じゃないとやってられなかったのですが、今は余程突き詰めた構成でもやりたいと思わない限りはあまり自作する意味もなくなってしまい、自分もやってみたいと思う人以外には勧めなくなりました。


それなりに長いことパソコン触ってるなーという自覚のある方は1度スペック変遷年表を作られてはいかがでしょうか。

案外面白い発見があるかもしれません。

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